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2008/11/19

幼いころの自分 博多っこ純情

友人が、小さいころの写真を見せてくれました。

幼いころの記憶ってありますか?実は、赤ん坊のころの記憶が

2、3残っているんですよ。

 

私が2,3歳くらいに、どこかの親戚のうちで取った写真が

ありました。それを見たとき、確か、ここで、高い高い、されたな~とか

記憶が残っているんですよね。不思議ですね。

 

幼稚園にもなれば、さすがにいくつかはっきりと覚えているものが

あります。

なんせガキ大将だったんで。いやジャイアンだったんで。

 

福岡の片田舎で過ごした幼いころの記憶、友人の見せてくれた

写真を見て、ふと振り返ってしまいました。

 

↓あ、これ、にわかせんぺいっていう地元のお菓子です。

博多どんたくで、この面をかぶって、しゃもじ使って

踊ってますよね。

 

にわかせんぺい.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

2008/10/30

福岡にて 取締役会

福岡の企業で取締役会。

 

東京と地方の経済情勢は微妙にタイムラグがあるような気がします。

情報が密集している東京では、ダイレクトに影響があるようですが、やや情報がのんびり

交流する地方では、そのアクションもワンテンポ遅れているような気がします。

 

あくまで気がします。

 

でも実は地方は、それ以上にタイムラグがあり、バブル崩壊から全く変化していない、という

ことも考えられます。

 

それにしても、家賃10万円出せば、LDKの広さの家に住める住宅事情がうらやましい・・・。

 

 

 

2008/06/13

私の経歴書 福岡が原点になって

19まで過ごした福岡は、いい町です。都会でも田舎でもない、ちょうど良い環境。

私の仕事であるベンチャーが、育ちにくいやや保守的なところが、若干玉に瑕、ですかね。ただし、東京にでてきた福岡の人は、結構起業家になっていたりします。それ以上に、芸能人、多いですけど・・・(笑) タモリ、フミヤ、浜崎あゆみ、チャゲ&飛鳥、井上陽水・・・などなど。

九州の人って、気質は関西人に近いですけど、心は東京(羨望で)を見ているような気がします。

ちなみに小学生の高学年から高校まで、とんでもない田舎、糟屋郡の久山というところにいました。見渡す限りの田んぼ・・・当時の中学校は、当時の後楽園が7つ?入るくらいでかかった。日本一の敷地面積を誇る学校で、体育館2つ、それとは別に講堂が1つ。テニスコートが、確か7面くらいあり、さらにサッカー場がある、しかも全校生徒が300人くらいしかいない・・・。図書館は、自動ドアに冷暖房完備、視聴覚教室には、自動カーテン、なぜかエレベーターまである・・・。おかしいでしょう???

私、その中学校の生徒会長、やっていました。部活はバレーボール。

ああ、青春だったな・・・って、思うのですが、そこから暗黒の時代が。

また続きを・・・。

 

 

 

2008/06/12

私の経歴書 ふるさとは、福岡(幼少のころ)

生まれてから、19歳までずっと福岡で育ちました。

幼稚園時代は、典型的なガキ大将でした。

友人が買ってもらった新しい自転車を、僕が、乗り回したり、探検隊と称して、ずいぶんと遠くに自転車で行ったまま、気づいたら親たちが大騒ぎして、行方を探していたり、あとは、当時住んでいた団地の自転車置き場の自転車を全てパンクさせたり・・・。まあ、相当手がつけられない悪がきでした・・・。

ええ、恥ずかしいです。

家にいると親が、外で遊べ遊べ、と、うるさかったので、常に遅くまで泥んこになるまで、遊んでいました。東京にいて思うのは、遊ぶ場所が、東京にはほとんどないため、キャッチボールもサッカーもできない、そんな都会の子供たちを不憫に思います。そりゃ、運動能力なくなりますね。

小学生になると、目立とう精神が本領発揮します。

人前で、アホになって人を笑わせることに快感を覚えていたような・・・。今の「世界のなべあつ」、のガキ版というところでしょうか。どこにでもいる、あのガキです・・・。

小学生の自分が、台本っぽいものを書いて、10人くらいで軽いコントをやってみせたり。(そういえば当時、カセットテープを使って、音楽のサビ部分だけを何度も録音して、歌ってみせたことがありました。

要するに、TVなんかでも、ある箇所の動作を何度も巻き戻して連続して見ると、まぬけにみえるでしょう?それと同じ効果を図っていました・・・。ガキにしては、凝っていました。)、もっともそれは大人になってからも同じで、友人の結婚式で、仮想ラジオ番組のCD作って<ちゃんとしたスタジオで録音しました>、披露宴で流した経験もあります。)

非常にくだらないことに凝っているのは、今でも変わらないかもしれません。

長くなりました。続きは、また書きます(笑)

2008/03/13

少し休息 福岡から上京したてのころ

昨日の「少しブレイク」は「休息」という意味だったのですが、意味を混乱させてしまいました。

さて、私、19のころに東京へ出てきました。生まれて、19年間どっぷりと福岡で生まれ育ちました。ご多分に漏れず、典型的な田舎ものでございました。最初のショックは当然ながら、食べ物でした。関西から西は、比較的味は、うす口。うどん、ラーメンを見たときは、「何だこのどす黒さは」なんて思っておりました。今ではすっかり濃い口になっていますが・・・。

ちなみに東京に来るということは、田舎ものとしては、当然憧れていたし、「この田舎からでてやる!」という気持ちが非常に強かった、と思います。というのも、福岡そのものは、そこそこの都市なのですが、当時の実家はかなりの田舎で、見渡す限りの田園風景、といったもので、友人や親が話すことは、専ら人の噂話、など、「このままだと俺は腐る」なんて、思っておりました。

かくして、田舎を脱出した青年は、花の都、東京の土を踏んだのですが、今こうやって、いろんな方々の支えがあって、仕事が出来ていることを考えると、ああ出てきて本当に良かった、と思っています。(もう、完全な田舎者の思い出話になっていますが) 福岡は、やはり保守的な部分は今も色濃くあると思います。まして、ベンチャーなんて、なかなか根付いているとは思えません。

田舎を悪く言っているのではありません。異常なスピードで、ビジネスが進む東京にいると、人間としての大事な感性を忘れそうになります。たまに、田舎に帰ると、時間が少しゆっくり流れ、忘れていた感性を取り戻したような感覚になります。オンとオフ。私にとっては、東京と福岡の行き来は、ちょっとした精神安定剤になっています。いい感じで精神のバランスが取れているかも。人間も経営もやっぱりバランスって大事ですよね。(と、意味不明なまとめ方になってしまいました。)