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2008/04/17

私の経歴書(ミニ)その2

当時私がいたCSK-VCの資本政策は、オーナー企業らしくオーナーの考えが反映されていました。例えば、そのひとつ。それは、リードインベスターになって投資する場合、企業の上場時における経営者の株式シェアを最低でも51%にすること、でした。(これは当時のお話。全部ではありませんが、原則。)「ポンカス」と呼ばれるワラントを発行して、そのように調整していた記憶があります。これは、上場とはいえ、まだまだ企業に安定感に欠けること、しばらくはオーナーがリーダーシップを発揮し、牽引するために最低限必要な経営権をとれ、という認識だったかと思います。当たり前ですが51%であれば、舵を十分とれる権利です。

一方でよく大川氏がベンチャー経営者に言っていたのは、創業者利潤の確保でした。(先ほどの説明と少し矛盾しそうですが)これは、公開時にキャピタルゲインをきっちりもらうことで、これまでのプライベートカンパニーからパブリックカンパニーへ意識を変えろ、というものでした。要するに対価をいただく代わりに「俺の会社」という意識を捨てなさい、ということでした。でも、これは微妙な問題です。じゃあ、CSKは、俺の会社という意識をなくして、経営されていたのか、というと、端から見るとそう見えない部分も若干あったのでは、と思います。真相は、経営者が知るのみですが。

そんな強烈なオーナーの思いが、VCにおいても反映されていましたから、少なからず私にもその影響は、今でもあるのかもしれません。

その後、私はVCを離れて実業の世界へ入り込みます。それは、この次で。

 

 

 

 

 

 

2008/04/14

私の経歴書(ミニ)

たまたま私が所属させていただいている「全国社外取締役ネットワーク」の勉強会で、オーナー企業に関する意見を求められたのがきっかけで、ふと自分がこれまで勤務していた企業(オーナー企業)のことを少し振り返ってみます。

私は学校を卒業して、CSKベンチャーキャピタルという会社に所属しました。CSK自体は、コンピュータ開発の会社ですが、当時(94年)CSK-VCは、確か会社ができて、2年目の新しい会社だったかと思います。

CSKは当時大川さん、という強烈なオーナーがいました。私が印象が残っているのは、自身のポケットマネーで、すでに数千人いた従業員にパソコンを配ったことです。94年ですから、インターネットが認知される直前くらいの時期です。

これから、大型汎用機の時代がなくなり、ダウンサイジング(うわ!懐かしい響き)の波で、パソコンへどんどんシフトしていく、だから社員は十分これを認識し、勉強しなければいけない、とのことだったかと思います。(それで、当時、家のパソコンをLANへつなぐよう、強制(?)された)

大川氏、当時、そのような将来、世界がみえることを、「予兆」と呼んでいました。予兆をつかみ、時代を先取りして、ビジネスを発展させることは非常に重要だ、確かそんなことをおっしゃっていたような気がします。

一流の企業オーナーというのは、そのカリスマ性、先見性に類まれな才能を発揮される方が多く、理屈でない感性が非常に鋭いイメージがあります。

そばにいたわけでないですが、大川さんもそんな一人だったような気がします。いろんな伝説とか逸話を聞いたことありますが、それはまた後日に。